目を閉じて「思考」する事の重要性。

ある時、
「何か重要な局面では、静かに目を閉じて思考する事が重要だな」
と強く感じた。
それは仕事の事であったり、
あるいは何か他の問題を解決する時でもある。
他人はどうかわからないが、
私の場合はその「目を閉じて思考する時間」を多くとればとるほど、
結果がついてくる事に気がついた。
話は飛ぶが、
以前わかりやすい医学関係の本を読んでみたら、
脳について書かれており、
人間の脳って凄いなと感激した事があった。
脳について、脳が考えているわけで、
脳が己の脳をどれほど理解できるのかは不明。
であるから、
益々脳が不思議なものである事には違いない。
そして、
それぞれの人々の脳で考えた事により、
世界が創り上げられてきて、
そしてこれからも様々な世界が創り上げられていくのである。
うまく表現はできないが、これは凄く「不思議な事」であると思う。
そして、全ての事柄の原点が「脳」にあるようにも思う。
であるならば、
逆にきちんと「脳」で考えてやれば、
いっけん多くの人々から見れば実現不可能な事であっても、
それが可能になる確率が一気に増えるのではないか?と。
例えばもし、
「一般的な人々」 の 一日にじっくりと「思考」する時間が 10分であり、
「平均よりほんの少し上の人々」 の その時間が 30分であり、
「平均より少し上の人々」 の その時間が 1時間であり、
「平均よりだいぶ上の人々」 の その時間が 2時間であり、
「平均よりかなり上の人々」 の その時間が 3時間であるとするならば、
前者の差による結果のヒラキよりも、
後者の時間的な差が意外と小さく感じられる場合がある。
(例えば、前者を「年収」としてみると・・・。)
そして、それは改善できることである。
大きな差を生んでいるものが、
実は毎日の微々たるものの差で生み出されているとしたら・・・。
私にもチャンスがあるはずである。
確か、
パスカルの『パンセ』の中に、
「考える葦(あし)」という言葉が出てくる。
「よく考える」ことに努めれば、「道理の原理」が見つかると・・・。
間違えても、
多くの人々がおこす「さざなみ」に惑わされてはいけない。
私が静かに「思考」する時間を増やしているのは、
誰にも邪魔されずに「思考」することで、
「道理の原理」がわかり、
それがいつか莫大な差となって返ってくると考えているからである。
こんなわけのわからない事を日々考えている私は、
かなりおかしい人間かもしれない・・・。
+++++
誰しも他人から学ぶ場合には、
自分みずから発明する場合ほどに、
何事にせよそれほど十分によく考えることも、
それを自分のものとすることもできない。
( デカルト 『方法序説』 より )