「当たり前の事」すら疑う

高校生時代のある日、
私はどういうわけか、
「1+1=2」に強烈な疑問を持ち始めた。
そもそもの発端が、
「人生からの逃避」であったのか、
それとも純粋に、
「既存の概念に対する疑問」だったのかは、
正確にはわからない。
とにかく気になって仕方なかったのである。
本当に眠れない日々も過ごした。
一個の粘土と、
一個の粘土をくっつけたら、
大きな一個の粘土である。
それは、
1+1=1
と表現してもおかしい事ではない。
しかし、
我々は幼い時から、
何時の間にか、
1はgのような数量を表し(ていたり)、
1g+1g=2g
であったり、
1m+1m=2m
のような考えで、すんなりと計算をしているのである。
(mkg単位などで)
また、そのように、
正確に答えられる人間を「優秀」とし、
それに点数をつけているのだ。
その根本に疑問を抱いたのである。
(単位系を何時の間にか習得しているのも、ある意味疑問)
1+1=2
である事は、
ある意味、
素直に学んでいる学習者にとっては、
自明の理であり、
そこに疑問を抱くのは、
不適切な事であるのかもしれない。
しかし、
あまのじゃくな私は、
その概念を、
「いつどこで誰から植え付けられたのか?」
そして、
このまま、
その1+1=2というものを基本とし、
それを、
多くの人は何の疑問も抱かず、
全て人生に利用していくのか?と言う事が、
気になりだしたのである。
何を言っているのか、わからないかもしれないが、
私は、行動起因を全て、ある原因に基づくものとし、
その根本を全て知りたいわけではないのだ。
当たり前となっているものを、
当たり前とするのではなく、
なんでも些細な事でも、
疑問を持った視点で見ると、
今まで同じにみえていたモノの、
面白い姿を見られるのでは?と、
ある日から考えている。
それが、
他人の欠点を探して喜ぶ事に使ったり、
自己満足だけに陥ってはいけないが、
行き詰った時、
そのように根本から疑い、
他の視点から物事を見る事が、
「新しい自分」になれるきっかけにもなると考えているのだ。
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借りものの概念と、
教育で植え付けられた偏見をもとにして、
ありきたりの筋道に合った話をする大人よりも、
子供たちの予期しない質問から教えられるところが
多いと思われます。
ロック 『教育に関する考察』 より
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話はかわるが、
20歳前後の私は色々苦しんでいた。
そして、必死にもがいていた。
(死ぬまで、もがきつづけるわけだが・・・)
自分の人生の方向性を探していたり、
自己の卓越性を発揮できる可能性がある分野は?など、
(自己のアレテーとでもいうのだろうか?!)
考えたり、様々な事で悩んでいたのである・・・。
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平成16年度東京大学入学式にて、
「卓越性」に関して、
佐々木毅総長が言及されております。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message16_02_j.html
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そんな中、
色々な先人の知恵に触れようと、
様々な良書に触れる機会を多くしていた中、
秋山仁氏の著書に出会った。
当時、
駿台レクチャー叢書シリーズの、
秋山仁著
「数学の技巧的な解きかた」
「数学の証明のしかた」
などを使っていたから、という理由もあるだろう。
今、もし、
私より若い人の中で、
もがき苦しんでいる人がいたら、
是非秋山仁氏の書籍を探して、
一度は読んでみると良いと思います。
また、詳しくは、
機会があったら改めて紹介します。
